隣の芝は青い

最近欲しいものはMac book air 。

最近いらないと思ったものはMac book air。笑


昔は欲しいと思ったらどうしても欲しくて欲しくてたまらなくて
買うために、買うために必死になっていた。


でも、ふと手に入ってしまうと
それは本当に欲しいものだったのか。持っていない時は
キラキラに見えていたものが、所有物になるとキラキラして
見えないことが多い。


よく母親から
『あんなに欲しがっていたのにもう次からは買ってあげない』
と何度言われただろうか。


大人になってその意味を考えるようになった。
欲しいと思っていたのはどの感情から起きたものなのか。

最近それをよく考えていると必要→欲しい 
ではなくて、周りが持っている→欲しい
と昔は思っていたようだ。



自分のタイプは新しいものが好きというのもあるけど、周りと被るのは好きではないのも特徴の一つ。


周りが持っているからというのは自分の感情ではなく、仲間になりたいという
思いから来ていたのかもしれない。



幼い頃は一人で遊ぶ機会が多くて、それが幼稚園に入ったりする中で友達ができて同じものが欲しくなったり、関係性を作りたくなったり。


それも今思うと成長の中では必要なことだったなと思う。


周りがあって初めて気づくこともあって、
だけどそれは全てではない。
身体の話をしていくと周りはどうかを気にして過ごしている人がいる。

・みんなができるのに私だけできない
・周りから猫背と言われて
・変だとと言われてて
・この年齢でこれだとやばいよと言われて
・病院で診断名という名前をつけられて

人から言われると
ショックなことも確かにあるけど
身体は誰のものでもなく自分自身のものだ。

自分自身が気に入らないと誰が気に入ってくれるのだろう。
最愛の人?家族?
生まれてから死ぬまで一緒にいるのはあなただけ。

そう考えていくと身体のことを理解してあげられるのは自分自身しかいないのだと気づく。

周りからこうしたら良いよと言われて行ったことは
キラキラしているように見えるけど自分自身がなってみるとキラキラしていないかもしれない。


自分が好きと思える身体になることが本当の幸せなのかもしれないと思う。


でもやっぱりMac book air欲しいような。いらないような。笑
そう考える時間を作ることも大切な日常の一コマなのかもしれない。